投稿者「Henton」のアーカイブ

頑張れないときもあると認める

現代は「急かされる」時代だ。

普段の生活でも無意識に急かされていることに気づけない。

例えば、電車だ。

特別な理由でもない限り、電車に飛び乗る必要はない。

たまに、閉まるドアの隙間から必死になって電車に乗ろうとする人を見かける。

どれだけ急いでいるんだろうと思っていると、何事もなかったかのように椅子に座ってスマホをいじりだす。

「えっ、急いで乗ってきたんでしょ?」

と首を傾げたくなる場面だ。

確かに、一本前の電車に乗れれば、その分予定としている用事まで時間に余裕が持てることは分かる。

だったら、自分の行動を早めにして、電車一本分やり過ごす余裕を作ればいいだけの話。

急ぐ必要がなくても急いでしまう。

「急かされる」ことばかりだと、いざというときに頑張れなくなる。

あと、「頑張る」という言葉の使い方も問題だ。

「頑張ってね」

相手を励ます際によく使われる言葉。

よく使われる言葉だからこそ、相手を傷つけていることに気づいている人は少ない。

「頑張る」というときの「主語」は自分。

だから、自分が「頑張ります」と言うのは問題ない。

相手を励ますために「頑張って」と言うのは、裏を返すと

「今あなたは頑張ってないから、頑張りなさい」

と言っているのに等しいのだ。

例えば、師弟関係にある2人の間で、師匠が弟子に「頑張れ」というのは問題ない。

修行中なのだから実力が足りておらず、努力してほしいという意味で使われるからだ。

上下関係があるからこそ成り立つ。

一方で、家族や友人に対して言うはどうか。

もうわかるだろう。

親子関係は上下関係とは違う特別な関係だし、友人との関係に上下はないはずだ。

上下がないのに相手に「頑張れ」というのは

「上から目線」

だと取られても仕方ないし、関係性を壊す可能性がある。

どんなに頑張ろうとしても頑張れない、頑張ってもできないときはある。

頑張れないことを認めないと、人間関係だけでなく自分自身に対しても苦しくなってしまう。

今は頑張れないと受け入れる。

そこではじめて前向きになる気持ちが生まれるのだ。

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