投稿者「Henton」のアーカイブ

鍋をつつき合う日本の文化はいいものだ

寒くなってくると食べたくなるのが鍋

大きな鍋を家族や友人とつつき合い、煮込まれたお肉や魚、旨味のしみ込んだ野菜を食べると体の芯から温かくなる。

温かくなるのは体だけではない。

鍋を食べながら家族や友人といろんな話をする。

時には真剣な話をしたり、時にはくだらない話をしたり、構えることなくいられる貴重な時間だ。

鍋も地域によって入れる具材も味も違う。

その代表格は北海道の石狩鍋だ。

鮭を中心に海の幸を入れ、豆腐や野菜をふんだんに入れてグツグツ煮込む。

味付けは味噌仕立て。

日本人にとって、味噌は「おふくろの味」といえるほど身近で安心できる味だ。

ご飯と同じくらい味噌汁が毎日の食卓に欠かせないものであることからも、味噌味は私たちに安心感を与えてくれる。

鍋をするとき、待っているときの時間も美味しさを増すスパイスになる。

「まだできないかな」

まるで子どものようにワクワクしながら待つのは、日常生活ではほとんどないことだ。

待っている時間にいろんな話をして、お互いの距離も縮まる。

お互いの距離が縮まったところで鍋ができると、期待感が一気に爆発する。

「美味しいね~」

言い合いながら食べると、鍋はもっと美味しくなる。

自分の好きな量だけ取り分けて、七味をかけたり自分好みの味にカスタマイズすることもできる。

鍋の具材を食べ終わったら、それで終わりではない。

最後の締めが待っている。

ご飯を入れて雑炊にするか、うどんや中華麺を入れて少し煮込んでから食べるか、最後の締めまで美味しく食べられる。

こんな食べ方は諸外国の文化にはない。

諸外国の食事は、一品一品がそれぞれ完結した料理として扱われる。

1つの料理を食べ終わっても、残りを活かして別の食べ方をするという発想がない。

そもそも、日本の鍋に相当する食べ物がない国が多い。

その意味でも、日本の鍋料理は類を見ない料理だと言える。

切った具材を鍋に入れて、味付けをしたスープで煮込むシンプルなものなのに、なぜか私たちの心の琴線に触れる。

体も心も温まる鍋料理は、寒い冬に不可欠だ。

テンザーゴールドプレミアム 口コミ

頑張れないときもあると認める

現代は「急かされる」時代だ。

普段の生活でも無意識に急かされていることに気づけない。

例えば、電車だ。

特別な理由でもない限り、電車に飛び乗る必要はない。

たまに、閉まるドアの隙間から必死になって電車に乗ろうとする人を見かける。

どれだけ急いでいるんだろうと思っていると、何事もなかったかのように椅子に座ってスマホをいじりだす。

「えっ、急いで乗ってきたんでしょ?」

と首を傾げたくなる場面だ。

確かに、一本前の電車に乗れれば、その分予定としている用事まで時間に余裕が持てることは分かる。

だったら、自分の行動を早めにして、電車一本分やり過ごす余裕を作ればいいだけの話。

急ぐ必要がなくても急いでしまう。

「急かされる」ことばかりだと、いざというときに頑張れなくなる。

あと、「頑張る」という言葉の使い方も問題だ。

「頑張ってね」

相手を励ます際によく使われる言葉。

よく使われる言葉だからこそ、相手を傷つけていることに気づいている人は少ない。

「頑張る」というときの「主語」は自分。

だから、自分が「頑張ります」と言うのは問題ない。

相手を励ますために「頑張って」と言うのは、裏を返すと

「今あなたは頑張ってないから、頑張りなさい」

と言っているのに等しいのだ。

例えば、師弟関係にある2人の間で、師匠が弟子に「頑張れ」というのは問題ない。

修行中なのだから実力が足りておらず、努力してほしいという意味で使われるからだ。

上下関係があるからこそ成り立つ。

一方で、家族や友人に対して言うはどうか。

もうわかるだろう。

親子関係は上下関係とは違う特別な関係だし、友人との関係に上下はないはずだ。

上下がないのに相手に「頑張れ」というのは

「上から目線」

だと取られても仕方ないし、関係性を壊す可能性がある。

どんなに頑張ろうとしても頑張れない、頑張ってもできないときはある。

頑張れないことを認めないと、人間関係だけでなく自分自身に対しても苦しくなってしまう。

今は頑張れないと受け入れる。

そこではじめて前向きになる気持ちが生まれるのだ。

blazer-α 口コミ